講道館は麹町富士見町時代に入る。血のにじむような稽古と技の研究に明け暮れていた道場生に、明治19年嘉納から警視庁武術大会への参加が発表される。柔道が初めて、天下衆目の前で柔術と戦うときが来たのだ!この大会で柔術を制した講道館柔道は、揺るぎなき地位を確立する。嘉納は講道館・嘉納塾を率いる一方、学習院教頭という公務においても教育者としての情熱を傾けた。明治22年には、教育事情調査のため1年以上に渡って、ヨーロッパ各地を外遊する。その嘉納の帰りを待たず、あの不世出の天才・西郷四郎がひっそりと講道館を去ってしまうという事件はあったが、講道館はますます隆盛を迎えるのであった。