太平洋戦争が始まり、時の大統領ルーズベルトは大統領令9066号に署名。日系人は住む土地を追われ、全財産を二束三文で手放さなければならなくなった。彼らはまず、集合センターと呼ばれる仮収容所に入れられた。競馬場、競技場、家畜場の跡に建設されたバラックである。そして半年後、急造された10箇所の収容所に移された。アメリカの敵である日独伊のうち、このような目に遭わされたのは日系人だけである。その上なお、アメリカのために戦闘部隊に入るかという忠誠心をテストすることまで行われた。日系1世と2世の祖国への重いが葛藤するなか、日系人の待遇改善を願ってアメリカ軍に入る2世達。楽市の息子・朝市も2世部隊に志願した。